TADAHIRO KANDORI(タダヒロ カンドリ) TADAHIRO KANDORI(タダヒロ カンドリ)では本好きアーティストによるインテリア雑貨を販売しています。人気小説から受けた発想を元にデザインした掛け時計の他、読書家の方に向けた浮かぶように本を飾れるおしゃれな本棚、左利きの方におすすめの書斎デスク等、人生を変える一冊の本のように心に残るデザインをお届けします。

どうしてインテリア家具なのか?〜「新たな選択肢」を手作りする〜

どうしてインテリア家具を作るのか?

部屋の風景

 

 TADAHIRO KANDORI は、41歳、男性。本業は「鉄の部品を作る」工場。趣味は本を読んだり、バスケットボールをしたり、絵を描いたりすること。友達とワイワイしょうもない話をするのも好きだし、深いテーマについて議論することも好き。20代前半は、「自分の意見」が空っぽで、ちゃんと話すことをしたくても、話すことができなかった。いろんな経験を重ねていく中で、少しずつ「自分の意見」が固まってきたように思う。

 

 どうして、インテリア家具を作るようになったのか?

 

何もしないという選択肢はなかったのか?

 

会社の機械

 

 そもそも、家族ぐるみで成り立っている工場。12人の従業員のうち半分以上は、親戚。仕事の手を抜くと、遅かれ早かれ自分に舞い戻ってのしかかる。もしくは、親戚の誰かに負担がスライドする。「思う存分、手を抜いて」働いたこともあったけど、なんだか、胸のあたりに「ポッカリと」穴が空いて、その分、できたプライベートの時間が楽しめなくなる。

 

 じゃあ、今度は「これでもか!と、本気で」働いたこともある。ただ、どこまでいっても、「経営者」と「従業員」を隔てる壁は高く、なかなか個人個人に還元されることはない。突き当たる問題は「会社のルール」や「設備投資」、「従業員の配置」、どれだけ真っ当な意見でも、正しさを数字で示しても、子供が親に、という家族バイアスがかかってしまい、うまく納得し、行動へと話がなかなか進んだことがない。意思決定の大部分は、「父親」である「社長」のご機嫌一つで決まってしまう。

 

 ここで、大切なことは、「会社」のためにもなり、「自分」のためにもなる「新たな選択肢」を作ること。たとえるなら、「どんぶり」の中に「湯呑み」がある。湯呑みに注がれるお湯が、こぼれ落ちどんぶりもお湯で満たされる。「湯呑み」が会社で「どんぶり」が自分。会社を満たしたあと、その余分が「自分」にも満たされていくような。

 

 「会社」と「自分」の間にある、選択肢はどんなものなんだろうか?その一つの結論が、インテリア家具を作るということだった。

 

 インテリア家具を作る「技術」を高めることは、「自社の生産性の向上」「効率の最大化」「作業員の問題解決によるストレス回避」「モチベーションアップ」へとつながる。それは働き方改革が求められる今の時代にフィットした考え方である。そして、目の前にできたインテリア家具は「自身の生活」も潤いを与える。どこにでもある家具ではなく「他にはない」オリジナリティに富んだものが望ましい。鉄工会社で一流を目指すのであれば、インテリア家具だろうと、自分自身が使うものぐらい、作って当然のように感じた。そう考えたことが、インテリア家具を手作りするきっかけだと思う。

 

やれることは、なんなのか?

 

木と木をネジで繋いで、トリマーをかけた

 

 やれることは、なんなのか?自分や弟の時代になったときのための「準備」や「技術の練磨」と「部下の育成」。「技術の練磨」は、いつの日にか「高止まり」し、その技術を伝達することに時間を費やすことになる。「部下の育成」は、水もので、どれだけ熱心に期待を膨らませても、「やめる」と言った部下を引き止めることはできない。上手になりたい、給料が欲しいと、心から願っている従業員ばかりではない。「部下の育成」は10人そこそこの中小企業が費やす投資案件ではない(そもそも、僕らみたいな中小企業には良い人材が入ってくる確率も高くない)。そうなると、社内の生産性を上げるための「システム」の構築。そのシステムの根幹は自作の「作業台であり、台車であり、棚であり、工具置き場」である。

 

 2、3日前から、「Netflix」でマクドナルド兄弟のハンバーガーショップを世界最大のファーストフードチェーンにする秘密を描いた「ファウンダー」という映画を観ている。その中で、ケチャップや、マスタードを同じ量を注ぐ器具は「手作り」。アップルの創業者、スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションツールは「手作り」の「keynote」。つまり、生産性の向上を目指す道具や工具は、「オリジナル」である。

 

 もし仮に、手作りの工具や作業台を「外注」し、オーダーメイドで作成したとする。すると、市販品とはかかる費用は、桁1つか、2つ多くなる。まだまだ、小さな会社が手を出せる金額ではない。では、桁を「市販品のそれ」と揃えながら「手作り」をする方法は、なんなのか?それは「DIY」という選択肢以外は考えられなくなる。

 

作業台や棚からインテリア家具へ

 

ねじの型が置いてある棚

 

 作業台や、棚、台車に加え、工具置き場などを、作っていく。すると、いつかこういう素敵な勘違いが頭に浮かんでくる。それは「どんなものでも、作れるんではないか?」

 

 鉄のパイプを溶接して作る棚や、台車などを作てみたことがある。ただ、それでも「木材」などを使って作成したものに比べると「かかる費用」はるかに「高い」し「手間」がかかる。

 

 鉄を扱う会社は、自分の見てきた会社のほとんどが、棚や作業台も「鉄」で作っている。「餅は餅屋」、「鉄は鉄屋」という考え方が「日本」には根強くあるように感じる。この考えの行き着く先は極論、「レコード針は、レコード針屋」という時代の変化に合わせ、自らを変化させていくのではなく、業界のイノベーションの波にいつの間にか飲み込まれ、あれほど世の中に多くあった「レコード針」の工場がなくなっていくことも考えなくてはいけない。

 

 鉄で作るべきものは、鉄で作ればいいけれど、全てを鉄で作るのは、どうかと思う。作業台一つとっても、木材で作るとなると「費用も手頃」「加工も簡単」「重量も軽く」「機能の追加も容易」「多少の油を吸ってくれる」など、たくさんの良いところが次から次へと出てくる。ただ、「鉄を扱う会社が、木材を扱うのは、どういうことか」という「常識のようなもの」に縛られて身動きができなくなるよりも、「木材」にあえて、挑戦していく方が「面白い」と思った。

 

 そういった、経緯の中、社内の生産性向上の可能性がありそうなものは、片っ端から作っていった。とにかく「量産」「量産」。休憩の時間に木工、早く仕事を終わらして「木工」「木工」。そういった「木工の量産」をしばらく続けていくと家の中のものって、「作ることができるかもしれない」。そういう考えが頭に浮かんでくる。そう、インテリア家具だって、作れるような気がしてくる。

 

1に会社、2に会社、3、4がなくて5に「木工」

 

2000冊の本
 

 ちょうど、会社で木工に挑戦をすることを決め、作業を進めていった頃、家の中の問題が「木工」により解決することができるような気がした。その「家の中の問題」というのは、『自分の部屋に本棚』が欲しいけれど、母親が頑なに「買ってはダメ」と、首を縦に振らないということだった。そこには、いくつかの理由があるけれど、結局「自分の家ではない」という事実があまりにも説得力があり、「本棚」を「買う」以外の選択肢を考えないといけなかった。その頃、すでに本が2000冊を越えて家にあり、これでも断捨離を何度も繰り返し、必要なものだけを手元に置いているという状態だった。

 

 つまり、「買うことはできない」けれど、「本棚は必要」。この事実は変えられそうもない。すると、自ずと答えは導かれる。あとは、DIYという底無し沼に飛び込む「勇気」が出せるかどうかだった。いつかやるんだったら、今やったとしても、たいして変わらない。もし仮に、失敗しても、出費は3000円くらい

じゃあ、やってみるか?と本腰を入れたのが、今からちょうど「7年前」2015年の1月の後半だった。

 

 昔から、「できそうな気がする」は「できた」確率が8割ぐらいの数字を保っている(気がするww)。野球部でファーストを弟と間違え、守備を任されるようになったときも、パソコンの「国家資格」を取るための勉強も、2%もうまくいっていることのない仕事でも、やる前に思い描いた「できそうな気がする」イメージの方が、エネルギーが強く、経験が行動への背中を押した。

 

自転車は、大変なのは最初だけ

 

本棚の上に、ガラステーブル

 最初から、思い通りに上達することはなかった。だけど、ある程度、イメージに近いものができたときの感動は、ずーっと残っている。今まで、作ったモノは木工製品だけで1000種類以上はある。その中で、納得のいく作品は「68個」。それが、GALLERYの中に保管してある。イメージ通りにできた「感動」がガソリンになり、次々と作品を手掛けていった。

 

 今では、あの時(2〜3年前)のスピードはないけれど。じっくり作品は「作っている」。自社の仕事をこなしていくということに「責任」と「思い入れ」が多少の重量オーバーで、乗っかっているけれど、問題なく「作品」は作り続けている。

 

最後に

本棚を作っている

 

 インテリア家具を作っている理由は、「家具」が好きだということ。そして、家具のほとんどが「木工」だという事実。最後に、スリムねじで作る木工の作品は、接着面が「0」もしくは「マイナス」(←このことは「次回」また書こうと思う)ということ。これらの理由が多くしめてあり、木工にトライすることになった。あと、自分のやっていることに自信が持てない性格なので、目の前にできてくる「作品」を「目の当たり」にすることで、自信がついてくるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

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