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読書をするときに聞きたい曲は?

 

 

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読書をするときに聞きたい曲は?

 

 

 

 

昨日の夜、とある女性をデートに誘ってみた。ビシッと「二人で食事に行きませんか?」と。我ながら、ストレートで素晴らしい。

 

すんなり「はい。…」と答えやすいシンプルな誘い方だと思う。今日のお昼に返事が返ってきた。

 

どうだったと思います?

 

答えは、

「彼氏に2人ではやめてねて言われてるから2人ではむりかな〜」でした。「へ、へ、返事、ありがとね〜」

 

へ、

 

へて。読書をするときに聞きたい曲は?皆さんは、どんな音楽を聞きながら本を読んでいますか?

 

もしくは、これから読書をしようと考えているんだけど、どんな音楽を聞きながらであれば集中できるんだろう

。今回も一緒に考えていきましょう。

 

 

 

読書をする人は、こう考える

 

それでは、

読書歴20年、家にある本4000冊、積読本3000冊の「コレクション癖」の強めな神鳥さんがビシッとお答えしますので、楽しみに聞いてく…。聴いてください。

 

 

それでは、答えを言います。

 

 

 

 

 

 

 

「人それぞれじゃね」です。

 

 

 

 

そ、それをいったら、もともこもないんですが「これが真実」のようにも思ってしまいます。

 

おそらく、「どんな音楽が一番自分にピッタリなのか」という問題を一人一人の読書をする人たちが経験を積んでいく中で、見つけていく。それが読書をする人の「大切なマインド」だと思います。

 

人に答えを委ねるのではなく、自分で解決する。この考え方の人が本を読むのではないのでしょうか?

 

向こうから一方的にディスプレイの中から流れてくる情報では、自分のためにならない。そう考えるから、能動的にお金を払い、時間をもうけて、ページを開いて、知識を吸収する。

 

どんな情報も「回答」として聞くのではなく「参考」として聴く姿勢が読書家の読書家たる所以(ゆえん)ではないのでしょうか?

 

 

 

無音

 

 

 

図書館に入ると、ピリッと空気が変わった雰囲気が周りに立ち込めています。シンプルに言えば、めっちゃ静かです。ほとんどの方が「音をたてる」ということしません。

 

この音がない状態は、

 

好き好きだと思いますが、もし仮に、読書家100人に聞きました。でアンケートをとると「無音」が2。「音楽あり」が8。くらいの割合で分かれるような気がします。

 

自分は正直いって、無音の状態は好きではありません。神経が過敏になり、少しの物音が気になってしまいます。

 

読書をしていくと、あるポイントを抜けると周りの空間が「どうでも良くなる瞬間」が訪れます。「黒子のバスケ」の漫画で出てくる用語を使うなら「ゾーンに入る」ような感覚です。

 

こちら側の世界から「あちら側の世界」へ移動する瞬間があり、そうなってしまったら「音が大きい」とか「子供が騒いでる」とか「ハゲ散らかされたお爺様が電話をし始めた」とかどうでも良くなるんです。

 

その「あちら側の世界」が好きで、読書をしている人がほとんどのような気がします。

 

なので、無音で本を読むという行為は、なかなかやらない人の方が多いと思います。

 

ただ、車の中は「無音」でいることが多いし、一人暮らしの人で、読書をする人は無音のままでいる人も多いような気がします。

 

一人の空間で、音楽を聴くと「音楽そのもの」を聴き入ってしまう。一人だけの空間では、音楽はない方がいいような気がする。

 

読書をする人は、自分と著者との会話であり、一人でいる時も、自分と自分との会話を繰り返す人が多いと思います。これは、自分の空想かもしれませんが。

 

 

 

 

クラシックは界面活性剤

 

 

 

スターバックスでこのブログを書いている。この店舗は、クラシックが店内に心地よく流れている。

 

読書をするときに必要なことは、音がキレイに「混ざり合う」ことが必要だと思う。

 

それは、部屋の中をサーキュレーターで空気をかき混ぜて「均一」の温度にすることに似ている。

 

「部屋の気温が均一になった状態」を一度味わうと、この状態を求めて、サーキュレーターを手放せなくなります。

 

それくらい「音が掻き混ざった状態」を作ることが、読書をするときに必要なことのように思います。

 

会話している人と会話している人の「話し声が混ざり合う」状態。会話している人と食器が重なる少し高い音が「混ざり合う」状態。キーボードを叩く音と食器が重なる少し高い音が「混ざり合う」状態。

 

本来、混ざり合うことのない音を、混ぜて気にならない程度に撹拌(かくはん)するときに使うもの。それが「クラシック」だと思う。

 

洗濯をするとき「油汚れ」を落とすことが一番大変。そんな水と油を「混ぜ合わせて」汚れを落とす「界面活性剤」のような効果をしてくれるのが「クラッシック」だと思う。

 

話し声が先行し、ゆったりとしたピアノのリズムが刻まれ、食器が机に置かれる。椅子を弾く音がしたと感じたら、学生の二人の笑い声、するとバイオリンが中和を図る。

 

読書を本当の意味でしたことのある人は、場所を選ぶことはない気がするし、音楽を聞きながら読書をするという人は、「かっこいい音楽を聞きながら読書をしている自分」が好きという。極端に言ってしまえば、悦に入った状態のような気がする。

 

まとめ

 

 

読書をする人は、「答え」を与えてもらうというマインドではなく「参考」や「ヒント」を探しにいくというマインドで思考するということ。

 

無音は案外、読みづらい。人がたくさんいる空間では「無音」はナンセンス。人がいない空間でこそ「無音」は有益。

 

人がたくさんいる空間は「音をかき混ぜる」ための「クラシック」がおすすめ。もっと言えば母国語ではない「歌詞」で歌っている音楽を聴く。これが僕の読書歴からのささやかな回答です。

 

 

ただ、村上春樹の小説だけは、読書それ自体が「音楽」を聴いているような感覚。それは、一度味わったら、また味わいたくなる。魅惑の果実。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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